第2章:倒産(3)

私には、当面会社に行かなければならない事情がありました。それは、破産申し立て用の資料づくりや事業の残務処理です。自宅にはパソコンなどのインフラは整っていませんでしたし、あらゆる資料は持ち出せる量ではありませんでしたので、それができるのは会社だけでした。それと同時に、私が会社にいることで、もし取引先や債権者が訪ねてきた場合、謝罪の気持ちだけは直接伝えられる、そうも考えていました。

 

いつも通り、朝神棚にお参りし、植木に水を上げました。しかし私以外誰ひとり、出社はしてきません。昨日付で全員を解雇し、業務を停止させた事の現実を実感しました。

 

ただこの事務所も、2~3日中には大方の関係方面に弁護士介入通知が行き渡ります。電気や電話などは、概ね2週間後くらいには止められる、と弁護士から聞いていました。それまでは毎日ここに来て、できる限り今やるべき事をやろう、そう考えていました。ここが使えるうちにやるべき事は山ほどありました。

 

この日から約2週間、私は事務所に毎日通いました。

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第2章:倒産(2)

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午後11時過ぎ、私は自宅に帰宅しました。子供たちはすでに成人して自立していましたので、今は家内とふたり暮らし、でも今日は家内はいません。家内を巻き込まないように昨日から親戚宅へ身を寄せさせてもらっています。誰もいない暗い自宅に、私は帰宅しました。自宅がとても広く感じました。

 

「事態を知った債権者が自宅まで来るかもしれない」

 

個人情報なので簡単に私の自宅所在地を調べる事は難しいはずですが、私の場合仕事がら、現場への提出名簿などで個人情報を出しているケースもあり、私の所在を調べるのがさほど難しくない債権者さんもいました。また会社の登記簿を取れば、そこには私の自宅住所は掲載されています。

 

もし債権者さんと直接対峙してしまった場合は、「決して弁済の約束などはしないように、すべて弁護士を通して、と話をするように」と弁護士からは指示をされていました。

 

有りもので夕食を済ませました。テレビもつけず、外の音ばかりが気になりました。

不測の事態に備え身構えていましたが、誰も来る事はありませんでした。

 

少しは寝ったと思います。翌朝、私はいつもと同じ時間に起きて身支度をし、いつもと同じように会社に向かいました。

第2章:倒産(1)

会社に戻るとすでに半数の社員は戻っていました。弁護士の姿を見て勘のいい社員は、「取引先の関係者ではない」とすぐに察したと思います。社内に今まで感じた事がない緊張感が漂いました。私は、「詳しい事は全員揃ってから話すから、こちらは弁護士の○○先生、大事な話なので先生にも同席してもらうから」とみんなに聞こえるように話をして、応接テーブルに弁護士を案内しました。緊張感はさらに高まりました。もちろん弁護士が社員達と会うのは初めてでした。応接テーブルと社員の業務スペースとの間は何の仕切りもないため、この場での会話はすべて社員達に聞こえてしまいます。弁護士は気を利かせて、ショートメールで直前のアドバイスをしてくれました。

 

解雇予告手当もまず支給できますから、みんなが少しでも安心できるように話をしてあげて下さい」

 

午後4時30分、全員が揃いました。ただならぬ緊張感の中、私は事務所の一番奥に立ちました。

 

平常にはとても話ができないと思っていたので、予め原稿を用意してありました。関係者すべてに配布する予定の謝罪文をまずみんなに配り、ひと呼吸おき、大きく深呼吸をして、私は原稿を読み始めました。

 

会社の現状

今日で一切の業務を停止

債務整理を弁護士に一任

みんなへの謝罪

未払い賃金と予告手当の事

失業保険などみんなが手続きすべき事

 

社員の誰ひとり、今日のこの話を予期していたものはいなかったと思います。

 

途中、こみ上げてくるものがあり、言葉につまりました。

私は最後まで原稿を読み上げました。

 

「倒産するってことですか?」ひとりの社員が口をきりました。私は黙って、首を縦に1回振りました。

 

私に罵声を浴びせるものや、詰め寄ってくるものはいませんでした。それは、今までの社員達との関係や、先ほど私が話した言葉が、伝わったのだと後になってそう思いました。

私の話の後、弁護士から今後の手続きの見通しや、各人がすべき手続きの質疑対応などをしてもらいました。ひと通り話が終わった頃、関係各社へのFAXが入り始め、会社の電話が頻繁に鳴り始めました。事態を把握した社員達が、必死にその対応をしてくれていました。

 

最後まで、誰ひとり、私を責めるものはいませんでした。逆に私の身を案じてくれるものや、今日まで仕事をしてこれた事に感謝の言葉を伝えてくれるものもいました。

私は、明日からの戦いの勇気をもらえたような気がしました。

 

午後9時、全員が退社し、私は事務所の扉に弁護士との連名の告知文を貼り、鍵をしめて弁護士と一緒に事務所を出ました。

 

私はいつも通り自宅に戻りました。前記したようにもし債権者が訪ねてきたら、向き合い、謝罪の気持ちだけは伝える考えでいました。

 

こうして、倒産処理の1日目が終わりました。

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第1章:倒産までの状況(16)

家内には、念のためXデーの前日から私と喧嘩をしたという理由で親戚宅に身を寄せてもらう事にしました。債権者とのトラブルをできるだけ回避するためです。弁護士の介入通知で金融関係からの催告は法的にストップできますが、それ以外の債権者へは法的な効力は発生しません。私は何を言われても、何をされても仕方ないと覚悟をしていましたが、家内はそうではありません。会社の倒産、私の破産とは無関係なので、そのための予防措置です。そして私は、Xデー後も申し立て準備のため今まで通り会社に行き、自宅に戻り、もし債権者が訪ねてきたら、向き合って謝罪の気持ちだけは伝えよう。そう考えていました。

 

Xデー当日、私は朝から経理社員と銀行に行き、社員の給与振り込みの手続きなどを済ませました。「税理士さんと打ち合わせがあるから」とそのまま通帳と実印を持って外出し、再び銀行に行きすべての資金を引き出し、まずその中から弁護士への破産申し立て費用を送金し、残りを弁護士の預かり金口座に送金しました。その後事務員に電話を入れて、「今日私から大事な話があるので、帰社したら全員事務所にいるようにとみんなに伝えて」と指示をしました。

 

通常の業務では、社員たちは午後4時頃帰社し、その後事務処理をして午後6時に退社します。午後4時30にはみな帰社していると予想し、弁護士には午後4時に会社に来てもらう事にしていました。それまで、私は外で時間を過ごしました。これから起こるであろう事態を想像し、あらゆる状況での対応の仕方など、ギリギリまで考えていました。1つだけ決めていた事、「正直に話をする事、逃げない事、これだけは絶対に貫こう」そう心に決めていました。

 

酷暑の夏、とにかくひどく暑い日でした。

私は会社近くで弁護士と合流し、事務所に戻りました。

 

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第1章:倒産までの状況(15)

Xデー、それは一切の営業活動を停止し、債務整理を弁護士に一任したことを宣言する日、本日をもって倒産準備に入りましたと関係者すべてに伝える日です。そして裁判所への破産申し立ては、延納を申し入れた税務署に配慮してできるだけ早く、Xデーから1カ月以内という予定にしました。これは倒産準備に入った事を税務所に察知されてしまうと、強制的に銀行口座を差し押さえられる可能性があり、売掛金の回収などに支障をきたすリスクがあったためです。私は誰にも気づかれぬよう、とにかく一人で、日々の業務を平常にこなしながら、Xデーと破産申し立てに必要な資料の作成を進めました。それはかなりの事務処理量でした。弁護士から指示された資料を毎日作ってはメールで送り、ダメ出しをしてもらっては直しを繰り返し、まとめていきました。

 

委任契約をした日、弁護士に「倒産処理を進める上で一番大事な事はなんですか?」と私は聞きました。弁護士の答えは「決して諦めない事」でした。

 

Xデー当日は業務終了後全従業員に残ってもらい、会社の実情を説明し倒産準備に入った事、今日付けで全員解雇になる事、営業活動の一切を停止する事、を伝える事にしました。弁護士にも同席してもらい、今後の法的な処理の進み方などを説明してもらう事にしました。関係各社に対しての通知は、従業員への説明の開始と同時に、緊急性のある関係先には弁護士事務所から各社へFAXで送付してもらい、銀行口座にある会社の資金は同日のうちにすべて引き出しておく事にしました。

私の当座の生活費については、同日最後の役員報酬として60万円を手元に残すことにしました。Xデーの頃には、私の所持金はほぼ0円になっていると予想されました。弁護士からは、「この件は先々管財人から否認されて破産財団に返金を求められるかもしれない」と説明を受けましたが、先立つものがなければ食べる事もできません。そのリスクは承知で進める事にしました。

 

そして、Xデーが近づいてきました。

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第1章:倒産までの状況(14)

今日までの選択肢の中に、倒産という考えがなかったわけではありません。しかしそれは人生の敗北であり、また会社の銀行債務に関しては当然連帯保証をしているわけですから、自己破産もしなければなりません。破産とは、無一文になり、お金、財産、信用、それらすべてを失い、たった一人、世間に裸で放り出される、死ぬ事と一緒、そんなイメージを持っていました。また社長というプライドを勝手に背負っていましたので、生き恥をさらして生きていく事はとても耐えられるものではない、と思っていました。そういう意味でも、私の選択肢は自ら死ぬ事しかなかったのかもしれません。

が、私は死ねなかった。

 

「死ぬ覚悟があれば何でもできる。1度死んだのだから、とにかく生き直してみよう。」心の中でそう思うようになっていました。

 

翌日、私は朝から会社に行き、インターネットで近隣にある弁護士事務所を調べました。「とにかく1度話をしてみよう」そう考えていました。そして2日間で3人の弁護士と面談しました。弁護士からの話を踏まえ、私はその後のキャッシュフローを試算し、弁護士費用、申し立て費用は捻出できるか、従業員への給料は払えるか、誰にどのくらいの損失を与えてしまうのか、自分の当座の生活はどう乗り切れるか、何をどのように進めればいいのか、などをひたすら考えました。幸い、計算上1500万円近い売掛金がありましたので、早々に手を打てば少なくとも破産費用、従業員への直近の給料と解雇予告手当、までは十分に払える見込みがありました。

 

そこから導かれたXデーは次の給料日、令和元年7月20日・・・。

 

私は自分なりに考えたプランを元に、3人の弁護士の中から最も信頼できると思ったA弁護士に再度面談を申し入れ、自分のプランを伝えました。令和元年6月28日でした。自殺し損ねた日から8日後の事です。A弁護士は概ねこのプランを承諾してくれました。ただ1つだけ問題がありました。それは6月末期日の消費税を納税してしまうと、7月20日の給料日には資金ショートをしてしまう事でした。A弁護士は私に、「税務所に早々に延納の申し入れをしてみて下さい。今までの実績からすれば承諾をしてくれます。これだけの売掛金があれば、未納となる消費税は後々の処理で財団債権としてちゃんと支払われます。少し猶予をもらいましょう」そうアドバイスをしてくれました。

直近のプランが固まりました。

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そしてその日私は、A弁護士が所属する弁護士事務所と正式に委任契約を結びました。

第1章:倒産までの状況(13)

午後4時頃、私は目を覚ましました。居間にいくと、家内は台所で何かをしていました。「起きた?、お腹すいたでしょ」そう話しかけてくれました。家内は一睡もしていなかったと思います。そしていつもと同じ食事を用意してくれました。会話のないまま食事を終えると、いつもと同じく、珈琲を入れてくれました。珈琲と一緒に、一通の手紙を私に差し出しました。私は黙ってそれを読みました。手紙には、昨夜の件で彼女が思った事を書いてくれていました。「貴方がいなくなったら、どのように生活をし、時を過ごしたらよいのかわかりません。考えるだけで寂しくてたまりません。でも今のこの問題を、どうやって解決したらよいのか、今はわかりません。」そんな思いを便箋に3枚、びっしり書いてくれていました。私はその手紙を読みながら、はばかる事なく涙を流していました。口惜しさと情けなさがこみ上げてきました。

涙が止まるのを待って、私は彼女に、「何か違う方法を考える」そう話しました。

 

そしてその晩、私は会社を倒産させる事を決意しました。

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第1章:倒産までの状況(12)

私の頭の中は、少しずつ現実に戻されていく感覚でした。何かを話さなければいけない。そう考えながら、今のこの醜態を友人にはさらしたくないと、直感的にそう思いました。「ごめん、ありがとう、あとは2人で話したいから、必ず連絡するから」そう友人に伝えました。「わかった」友人はそう答えて、心配そうな表情で一度家内に目をやり、それから車に乗り込みました。

 

友人が離れて、しばらく沈黙していました。「お金のこと?」と家内が口をきりました。「うん」私はそう答えて、大きく息を吸ってから、今までの事を話し始めました。ひと通り話し終えると、再び沈黙になりました。

 

時計を見ると、午前5時30分を回っていました。あと1時間で早番の社員が来ます。私はとりあえずここを片付けて、一度家に帰るしかないと思いました。

「ここはまずいから、家に帰ろう」家内にそう告げました。私は、天井の梁に縛ったロープをほどき、床に置いた遺書を集め、倉庫の中を元の状態に戻しました。そしてシャッターを下ろしカギをかけ、ふたりで倉庫から離れました。大きい通りに出てタクシーをひろい、乗り込みました。家に着くまでまた沈黙でした。

家に着いた頃、外は明るくなっていました。私は凄まじい疲れを感じました。とても何かを話す気力はもうありませんでした。私は家内宛てに書いた遺書を彼女に読ませました。

 

今日の仕事の事が頭をよぎりました。私は主要社員達に、「朝から体調不良で今日は自宅にいる。緊急連絡だけメールで入れてほしい」とメールで連絡し、「とりあえず、寝たい。もう大丈夫みつかっちゃったからね。これからどうするかは寝てから考えるよ」

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そう家内に伝えて、ベットに入りました。

私は夕方まで、眠っていました。ここ数カ月の不眠が嘘のように、とても深く、深く眠っていました。

 

第1章:倒産までの状況(11)

時間は、午前3時を回りました。私は亡き母親の写真に向かって、こんな言葉をかけていました。「もしこの方法が間違っているなら、母さん教えてね」

少し涙が出ました。スマホからは、繰り返し好きだった曲が流れていました。

 

すると、午前3:30頃、予期せぬ事が起きました。突然、閉めてあるシャッターが音をたてて揺れました。「ガタ!ガタ!ガタ!ガタ!」「ガタ!ガタ!ガタ!ガタ!」

私は最初、風が吹いているのか?、と思いました。数秒たってまた揺れました。「ガタ!ガタ!ガタ!ガタ!」「ガタ!ガタ!ガタ!ガタ!」2度目の揺れが止まったあと、今度は床においてあるスマホが、「ビィーン!、ビィーン!」と振動して響きました。着信の画面には、家内の名前が出ていました。5~6回振動したのち、止まりました。「何でこんな時間に家内から?」そう思った直後、またシャッターが揺れました。私は事態を把握しました。

私は大きくため息をして、閉めてあったシャッターのロックを外し、ゆっくり下から上へ引き上げました。シャッターの前には家内と、家内と共通の友人が立っていました。

 

「何してるの?」家内が私に、そう尋ねました。

「何で来た・・・何で来た・・・」

 

独り言のように、私はそう呟いていました。私はもう1度大きくため息をして、家内だけを中に招き入れました。中の様子をみた家内は、「死のうとしてるの?、何で?、何があったの?」と私に聞きました。黙っていると家内は、夜現場に行くと外出した時の私の様子がいつもと違った事、その事が気になって眠れなかった事、普段外出時の待ち合せ用にと2人でスマホに入れてあるGPSアプリが一向に倉庫から動かない事、真夜中にも関わらず友人に電話をしてその事を話したら、それならと車を出してくれた事、等々、しばらく家内は、一方的に喋っていました。

 

私は心の中でこう呟いていました。「失敗した・・・」

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第1章:倒産までの状況(10)

倉庫に向かう途中、私はコンビニで350mmの缶ビールを1本とつまみのピーナッツを買いました。カバンの中には、遺書、知人から以前もらった睡眠薬が2錠、そして今は亡き母親の写真が入っていました。

倉庫に着いた私は、手際よくテストをした時のように、天井梁の鉄骨にロープを結びました。いつでも上れるよう脚立を立て、その下に遺書を並べて置きました。

早番の社員が倉庫にくるのは午前6時30頃、その日の早番はわかっていたので、私の遺体をみつけるであろう社員が少しでも驚かないように、社員が来る2時間くらい前に実行しようと決めていました。首つりは時間が経過するほど、身体のすべての穴から水分が出てとても酷い状態になると聞いていました。

倉庫にはデスクがないため、私は壁に母親の写真を貼り、その前に座りました。スマホで好きだった曲、思い出のある曲をかけて聞きました。

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母親に自らの意思で死ぬ事を詫びていました。

缶ビールを少しずつ飲みながら、ゆっくり時間を過ごしました。

とにかく至って不思議なくらい冷静でした。午前4時になったら睡眠薬を飲んで、午前4時30分になったらロープに首をかけよう。

それまで、自分の人生を振り返ろう。

生まれて初めて経験する不思議な時間が、過ぎていきました。

 

 

第1章:倒産までの状況(9)

自殺をすると決めた日、その日が近づいてきました。

 

自殺をすると決めた日の2日前、私は会社近くの資材倉庫で、倉庫の天井の頑丈な鉄骨の梁に直径9mmのナイロンロープをかけ、試しに首にかけてほんの一時、全体重をのせました。苦痛より先に、意識がふわっと浮くのを感じました。プロレスなどの締め技で、意識が飛ぶ、という状態です。

私は、「ああ、これでいける」と思いました。

 

自殺をすると決めた日の前日、その日は日曜日で、家内と久しぶりの休日をふたりで過ごしていました。もちろん悟られないよう、ただ心の中で、自分の不甲斐なさを詫びていました。その日の夜、私は急な仕事の連絡が入ったと嘘を言って会社に行き、自分の死後の名誉のため、会社のパソコンのデータやスマホのデータ、机の中の書類などの整理をしました。

 

自殺をすると決めた日、その日は社員の給料日です。この日の給料はきちんと払える資金はありましたので、経理の社員と銀行で振り込みの手続きをすませました。自分の役員報酬は送金と同時に引き出しました。死んでしまった後現金が口座のままでは凍結されて引き出せない事を心配したためです。夜帰宅して、自宅のある場所に置いておくと、家内宛ての遺書にそう書き残していました。

 

仕事が終わり、帰宅しました。家内には何日か前に、「この日は夜現場の立ち合いがあるから、一度戻ってまた仕事

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に行く」と話していました。家内と夕飯をすませ、午後9時をまわった頃、私は自宅を出て、会社近くの倉庫に向かいました。

 

令和元年6月20日の夜でした。

第1章:倒産までの状況(8)

自殺を考える人のほとんどがうつ的状態になっていると、以前何かの書物で読んだ事がありました。当時の私もまさにそういう状態だったと思います。

私は、会社にいない時間が増えました。社員が出社する前に出社し、その日の業務指示をメールで送信、その後は外出したまま、帰社は社員たちが退社したころを見計らって戻る。そんな状態になっていました。社員たちの顔を見るのが辛いのと、それでも尚、悟らせたくない、この窮状を解らせてはいけないと、そんな思いでした。事務員には営業まわりと伝えていますが、そうではありません。喫茶店をはしごし、ノートパソコンで「人は死後どうなるのだろう?」とか、「どのような死に方が楽なのだろうか?」「自殺でも保険金はおりるのか?」など、そんなことばかりを検索し、四六時中考えていました。インターネットの中にあった外国人少女の首つり自殺の映像を見て、「首つりはさほど苦しまずに死ねる」と思い、死に方は首つりにする事にしました。自殺するのは来月の給料日、家族に当座の現金を渡した後と決めました。

この頃の心情は、不安や恐怖、絶望感は全くありませんでした。不思議なくらい冷静で、逆に死を決めた後から、安堵感のようなものを感じていました。建前はどうであれ、「これで楽になれる」という本意が心の中にあったのかもしれません。

 

自殺をすると決めた日の1週間前から、私は、お世話になった人の家の近くまでいって遠巻きに様子を見たり、自分の死後の事を独り言のように頼んだり、自分の生まれ育った土地や母校を訪れて若かった頃を懐かしんだりしていました。。もちろん、誰ともあう事はありません。

遺書は、家内、子供、社員、知人など、意思や謝罪を伝えたい人宛てに10通ほど書きました。

今思い出すとおかしくなってしまいますが、この時はこれが正しい唯一の解決方法と

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、本気でそう考えていました。

第1章:倒産までの状況(7)

今のこの状況は、家族はもとより、会社関係の誰にも話をしていませんでした。経理の社員だけは、私の異変に多少なりとも気づいていたのかも知れませんが、ただただ、ひたすら、私は一人で考えていました。そして見えた1つの最良と思える方法・・・

 

私は個人と会社とに別々で、生命保険に加入していました。死亡時の保険金額は、個人が3000万、会社が2000万、そして住宅ローンの団体生命保険には死亡時の特約として返済の免除が記載されていました。

 

その時見えた最良と思える方法、それは、自殺することでした

家族には当座の生活資金が入り、住宅ローンはなくなり家は守れる。

会社は、それでもそれなりにスタッフが育ち得意先からの信頼もまだまだある。2000万の資金があれば、残ったスタッフで存続と立て直しをきっとしてくれる。そんな考えが頭に浮かび、日を追うごとに、これがきっと最良の方法と、

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考えるようになっていきました。

第1章:倒産までの状況(6)

令和元年の5月も半ばを過ぎた頃、とうとう私自身の力で見出せる手立てが一切なくなりました。その頃になると、以前から気になっていた不眠と理由のわからない身体全身の痛みが日増しに強くなり、これがうつ的症状である事にも気づきました。以前、うつで悩む方の話を聞いた事がありましたが、これがうつなのかと、これは辛いなと、そう思ったのを覚えています。

それでも尚、何か方法はないかと考えます。

ノンバンク、ファクタリング、闇金

会社の事、従業員の事、得意先の事、下請けさんの事、そして家族の事・・・。

 

そして私の頭の中に、最後の1つの方法、最良と思える方法が浮かびました。

 

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第1章:倒産までの状況(5)

FXで資金を増やそうと考えた私は、朝から晩までFXについての解説書物を読み、またネットで検索をしてはその仕組みや攻略事例などを見ていました。そして2週間後、私は自身の信用で借り入れができる最後の50万を元手に、FXを始めました。結果は、ご想像のとおりです。今思えば、投資の世界で成功できる人は極わずか、そんな甘い世界ではありません。たかだか2週間の学習で、利益を出せるはずなどありません。ビギナーズラックなのか一時は倍近くまで資金を増やしますが、借金を背負っているメンタルではただただ欲深くなるだけで、1か月後私はすべての資金を使い果たしてしまいました。ある良識のある投資家が、SNSでこんなコメントを書いていました。

「FXや株で借金を返そうなどと思っている人は絶対にやらない方がいい。

 決して資金を増やせない」

 

この言葉が、今はとてもよくわかります。

 

 

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