第2章:倒産(4)

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最後に事務所にいた2週間、さまざまな事がありました。

 

取引先、仕事の発注側の担当者が数社訪ねてきました。まず事実確認です。なじみの担当者に事情を説明し謝罪するのはとても心苦しいものでした。発注側の会社さんには金銭的な迷惑をかける事はありませんが、うちがやらせてもらっていた業務には急に穴が空いてしまいます。これはこれで相当な迷惑をおかけするわけです。業務資料の提供や代替えの業者を紹介してほしいと要望される場合もありましたが、会社が保有する資料は会社の財産にあたるため個別の資料提供はしてはいけない。個別の業者の紹介もNG、と弁護士から指示されていました。ここでは詳しくは書けませんが、そうした縛りの中で可能な限りの対応をさせていただきました。

 

債権者は4人訪ねてきました。仕事をお願いしていた人たちです。自営の方、会社の社長、みな現場で何度も会っていた人たちでした。私はその都度深く、頭を下げて謝罪しました。こちらも可能な限り、取引先との仕事が直接繋がるよう行動をしました。直接お詫びができた事は、何より私にとって救いになりました。

 

元従業員の中で、これを機に独立起業したいというものが連絡をくれて訪ねてきました。私は許される限りの情報とアドバイスを伝えました。

 

事務所の大家さんからは、「いつ出ていってくれるのか、家賃はどうなるのか」と毎日のように連絡がありました。個人の大家さんでした。それまで好意にお付き合いをしていましたが、態度は一遍しました。仕方ありません。小さなビルで全フロアの電気メーターが共通であったため、電気代の請求も大家さんの方に来ることを心配し、強硬にエアコンは使わないでと言われました。酷暑の夏、エアコンは使えませんでした。

 

事務所と倉庫の明け渡しを請け負ってくれる業者探しや、コピー機や車などリース物件の引き渡し、従業員の社会保険の退会手続きや各人への離職証明、源泉徴収票、各市区町村への住民税関係の通知連絡などすべて自身の手でやりました。

そして破産の申し立て書類の作成には、かなりの時間と労力を要しました。

 

あっという間に2週間が過ぎました。いよいよ電気が止まり、インターネットも繋がらなくなる頃、何とか大方の処理が終わりました。弁護士からは、8月20日に裁判所に申し立てをする方向で動くと連絡がありました。

 

「植木たちも枯れてしまうな・・・ごめんな」自然とそんな言葉がでました。

 

令和元年8月10日、私は事務所のすべてのカギを弁護士に預けました。