第6章:破産者の生活(3)

破産申し立て後のもう1つの仕事先、それは清掃事務所での仕事とほぼ同時期に始めた某ファーストフード店のデリバリーライダーです。

仕事探しの時何よりこだわった事それは、時給1200円以上、また住居から自転車で通える範囲、ということでしたが、運よくこの職場で採用されました。採用の経緯は以前のブログで書きましたので省略しますが、実は高校時代から20歳すぎまで、同じようなファーストフード店でアルバイトをした事がありました。その時はもちろん店内業務でしたが、仕事をはじめてその頃の事を思い出しました。

職場はとにかく若い人たちばかり、下は高校1年生から、主力はやはり大学生がメインです。私は何の抵抗もなく若い人たちから仕事を教わりましたが、逆に若い人たちの方が恐らくですが、「この新人のおっさんとどう接すればいいか」と戸惑っていたと思います。

そのギクシャク感が取れるまで、約半年かかったと思います。長い間管理職、そして社長という立場にいた私にとって、「人と人とが相手を認め合うというのはこういう事か」と改めて教えられました。

また、社長時代の私と同じ立場、それは今この環境では店長になりますが、働く側の立場で上席の人と接し、「あ~、あの時に下の社員たちはこんな風に感じたのか」とか、「こういう態度をするとこう感じるのか」など、当時の自分と被らせてみたりして、社長時代の自分を振り返ったりしました。

 

仕事はほどなく覚えられ、3ヵ月後には月間配達件数1位を取りました。

 

そしてこれを書いている今日現在も、この職場で仕事をさせていただいています。

 

世の中が新型コロナの影響で業種によっては人員カットやそれこそ事業の継続危機に瀕している中、たまたまですが私が就労している2つの事業所はどちらも、全くといっていいほど新型コロナの影響を受けていません。

 

自分でいうのも変ですが過去の人生においても、土壇場でのツキ、はいつも感じます。

 

2事業所あわせて、とてつもない月の労働時間を今もこなしていますが、今の職場環境がそれを可能にしてくれていると思います。

疲れてどうにもならない時もありますが、それ以上に社長をしていた時には感じえない新鮮な時間を過ごさせてもらっています。そしてこれを次に繋げられるよう、新たなビジョンを考えている今日この頃です。

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続く・・・

 

 

 

 

第6章:破産者の生活(2)

新しい仕事場のひとつ、清掃事務所での仕事について書きたいと思います。

端的にいえばゴミ屋さん、収集車と一緒に街中を移動し、各所のゴミを収集車に積んでいく、あの仕事です。

仕事の初日、午前中研修を終えると、職場ではストックヤードといわれるゴミを一時的に集めておく場所に連れていかれました。「じゃあ練習で積んでみて」と担当の職員さんから言われ、収集車が来るのを待って、私は生まれて初めてゴミを取りました。

(業界では、ゴミを収集車に入れる事を積む、ゴミを掴むことを取る、といいます)

真夏の暑い日、まず滅入ったのは匂いです。吸う空気すべてがゴミの匂いです。

ストックヤードにはゴミの山ができていました。私は恐る恐るゴミの山の手前に立ちました。「こうやってゴミの袋を掴んで、最初は片手に1つずつでいいから」そう言われてゴミを取り、収集車の中に放り込みました。「続けて」といわれて、私は5分くらい、その動作を繰り返しました。

「うん、最初はそんな感じ、あとは現場で徐々に教えるから」そう言われて私はゴミの山の前から離れました。熟練の方が代わりにゴミを取り始めました。1度に合計6袋くらいは取っていました。それはまさに圧巻でした。

 

午後、さっそく現場という指示で、そこでも私は驚きに直面します。2人一組で動くのですが、とにかく走ります。ペアを組んでくれた職員さんも歳は40代半ばですが、とにかく走るのです。私はついて行くのが精一杯でした。

「続けられるかな?」内心不安になりました。

 

近況をお話しすると、こんな形で始まったゴミ屋さんの仕事、これを書いている今日現在も続けています。驚くほど体力と握力がつきました(笑))

今年4月からは非常勤職員にもしていただき、待遇もよくなりました。

皆さん正職員さんは地方公務員なので、平たく言っておかしな方はいません。皆さん良識のある方ばかりです。

そしてこの職場、仕事終わりにお風呂に入れます。「汚れを落として帰路につくまでが仕事」そういう概念だそうです。

再任用の職員さんは60代後半の方もいて、身体が丈夫な限り続けられる仕事です。

 

この先この職場は、ひとつの働き場所として、大事にしていこうと思っています。

 

(次回はもう1つの職場、ファーストフード店のデリバリーについて書きたいと思います)

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第6章:破産者の生活(1)

第1回の債権者集会が終わった頃、その頃の私の生活は、とにかく毎日仕事をしていました。仕事といってもアルバイト、清掃事務所とファーストフード店のデリバリーライダー、1日休みの日は月に2日くらい、その年の12月は月間で288時間仕事をし、手取りで35万を超えました。

何より生活に余裕を持たせたかった事と、破産申し立て時に手元に残した60万円について集会後管財人から、「半分の30万は裁判所から否認される可能性が高いので、次回債権者集会までに財団に返納してほしい」と指示を受けていたためです。これは予測していた事なので仕方ありません。60万全額でなかったので、よかったと思わなければいけません。それともう1つ、自宅の売却先が決まると、当然転居先を見つけて引越しをしなければいけません。その際の引越し費用、これについてはケースバイケースで、財産からある程度費用を見てもらえる場合もあるようなのですが、出ない場合もあり、とにかく現金を増やしておく必要がありました。

 

生活費を切り詰めるため、食事はすべて自炊で賄い、昼食も弁当を持っていきました。

 

しかし不思議と辛さは感じませんでした。新しい仕事を覚える事や、人との出会い、そんな新しい日常がとても新鮮であったからだ

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と思います。

 

これからの人生をどう過ごそうか、そんな事を考えながら、毎夜眠りについていました。

 

 

 

 

第5章:債権者集会(2)

1巡目に呼ばれた人達の集会が始まりました。弁護士は私に気を遣い、「あのテーブルはたぶんこんな話をしている。このテーブルはもう2回目以降だから債権者がほとんど来ていない。」などと話しかけてくれました。私は初めての光景に見入っていました。早いところは5分、遅い所でも15分くらいで審議が終了していきます。終わったところから順にまた次の人達が呼ばれ、新たに審議が始まります。

 

私は3巡目あたり、始まって20分くらいで名前を呼ばれました。

 

私は弁護士と一緒に席を立ち、指示されたテーブルに向かいました。裁判官と思われる方がすでにいます。管財人もテーブルに来ました。管財人とはこの3ヵ月、さまざまな場面で会ってきましたが、今日は最初にあった時の厳しい表情をしていました。

そしてほかに5名、債権者と思われる人たちが用意された席につきました。その中には付き合いのあった協力会社さんが1社だけいて判りましたが、ほかの方々は判りませんでした。

私は全体に目をやり、頭を下げて席につきました。

「それではまず、㈱○○○○の債権者集会を行います。管財人から処理状況を報告して下さい。」裁判官がそう発して集会が始まりました。参加者の手元にA4紙の資料が1枚配られ、そこには負債金額の集計と財団ですでに回収した金額、今後回収見込みの金額、財団から優先して配当される項目と金額などが書かれていました。管財人は資料に沿って話をはじめ、未払いの公租公課と元従業員の未払い賃金、解雇予告手当を財団債権及び優先債権として配当し、その残りを一般債権者に分配、若干ではあるが配当ができる見込み、また会社の方の処理はあと未収の売掛金を回収してすべて終了の予定、と、実に簡潔に説明しました。

「何か質疑のある方はいますか?」裁判官が債権者に尋ねました。質疑はありませんでした。「なければ次回債権者集会を2か月後の○月○日として、第1回債権者集会は終了します。引き続き破産者○○○○氏の債権者集会に移りますので、○○○○氏に対して債権をお持ちの方はそのまま席に残って下さい」

 

これで会社に関する第1回債権者集会は終了です。ここで2名が席を立ちました。残った3名は会社と私との両方に債権を有する金融関連の債権者と思われました。

私個人の集会も同様に、全員に1枚の資料が配られ、管財人から処理状況の報告が行われました。個人分の処理状況としては、所有不動産の売却や関連会社持株の売却がまだ未処理であると説明がありました。

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債権者の1人が、「不動産は確認したところ借地ですが、十分買い手のつく物件のようですね。」と発言しました。間違いなく金融関係の担当者です。管財人は、「現在土地所有者との交渉中で、話がつき次第売却公募の準備に入ります」と回答しました。

質疑はこれだけで、同様に次回集会を会社の集会と同日に実施することを確認して、集会は終了しました。

 

終了後、管財人と少し会話をして、退室しました。

 

私は2~3日前から緊張していましたので、退室と同時にどっと疲れが出ました。

「すぐ終わったでしょ?」弁護士が軽く微笑みながら話しかけてきました。

私は体の力が急に抜けたような、そんな感覚に襲われました。

 

 

 

 

第5章:債権者集会(1)

私は過去に2度、社長に就任する前に債権者集会というものに債権者として出席した事がありました。1社は倒産、もう1社は会社更生法による更生を前提とした事案でした。その場面は、裁判官、管財人、申し立て代理人、そして破産者がひな壇に座り債権者と対峙して座る、そういう風景でした。いずれも企業規模が大きかったため、第1回目は数百人の債権者が出席していました。

私の場合、総債権者数が百人にはなっていませんでしたので、そこまでの規模ではないと思っていましたが、いずれにしても同じようなシチュエーションなのだろうと、勝手に想像していました。

 

集会当日、私は申し立て代理人弁護士と裁判所の前で待ち合せしました。一般の方と同様、私は荷物検査のある側の入口から入り、ゲートを潜って中に入りました。

弁護士から「管財人から連絡があり、元従業員さんへの未払い給与と解雇予告手当は確実に支給できます。今日その件の報告もありますよ。」私はこれを聞いて、他の一般債権者さんには申し訳ありませんが、少しほっとしました。

そして弁護士は私の緊張を和らげるように、「大丈夫、今日はすぐに終わりますから」と話してくれました。

 

集会場のある階につくと、弁護士は私を一番広い集会場に案内しました。「ここにある名簿の名前の所に○をして下さい」私は促されるまま、名簿に○をしました。中を見ると、会場の前面にはいくつかの囲みテーブルが用意されていて、会場の2/3は来場した人が座れるように相当数のパイプ椅子が並べられていました。「ここに座って待ちましょう」弁護士がそう言い、私は言われるままに弁護士の隣に座りました。「時間がきたら順番に呼ばれます。呼ばれたら前のテーブルに行きますから」弁護士は私にそう説明をしました。

私のような破産規模の場合、数十人の破産者の集会をここで順番にやるようで、私はその事をやっとこの時理解しました。入口でみた受付名簿の数からすると、今日ここで破産者20人くらいの集会が行われます。

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私が想像していた債権者集会のイメージとは、だいぶ違いました。

 

時間になり、裁判官と思われる方々が前の囲みテーブルに立ちました。囲みテーブルは4組用意されています。指示係の方が「これから順番に名前を呼びますので、呼ばれた方、管財人、代理人、債権者の皆さんは指定のテーブルに行って下さい。まずAテーブル、㈱○○○○、及び○○○○さん、Bテーブル・・・」

 

債権者集会が始まりました。

第4章:管財人との仕事(3)

管財人と何度かお会いするごとに、管財人の眼が変わってきました。立場がら当然ですが、最初は犯罪者を見る検事のような眼、こちらが勝手にそう感じていただけかも知れませんが、そう思いました。それが少しずつ、優しさを感じる眼になっていきました。

 

信頼関係のようなもの、少しずつですが手ごたえを感じました。

 

自宅の売却に関しては、借地ということでまず地主との交渉が第一関門と説明を受けました。路線価の借地権価格としては約700万、売却には地主の承諾が必要でこればかりは法律云々ではなく、承諾がなければ売却はできず、管財人が直接交渉を行っていました。

 

会社と私個人宛ての郵便物はすべて一度管財人の方に届き、管財人がチェックをしてから私の方に送られてきました。これは隠し口座がないかとか、特定の債権者だけに弁済をしていないかとか、申立書に矛盾する行動をしていないかとか、そういった事を確認するためのものでした。

 

話がそれますが、家族のこと、家内は引き続き親戚宅にいてもらう事にしました。

理由は、この騒動以降家内は体調を崩していました。あわせて更年期障害、今は離れている方が適切と思いました。

子供達にも今の事態を伝えました。2人ともすでに社会人として自立していましたので、「特に心配はするな、お前たちには迷惑はかけないから」とだけ話しました。

正直今回の事で、家族の中にも距離ができ始めていると感じていました。

これが破産の現実、仕方ないこと、当然のこと・・・そう思いました。

 

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そして忙しく日々が過ぎ、第1回目の債権者集会が近づいてきました。

 

 

 

 

 

 

第4章:管財人との仕事(2)

第1回目の債権者集会は通常破産申し立て日から3か月後になります。私の場合も例外ではなく、3か月後の令和元年11月20日と決まっていました。弁護士からは「債権額、債権者数からすれば、おそらく2回の債権者集会で終了すると思う」と聞いていました。私は何より債権者への謝罪の意味で、すべてに優先して管財人の調査処理に全面的に協力するつもりでいました。またそうすることで管財人の手間も減り、管財人費用を抑えられ債権者にまわせる配当も増えると聞いていました。

 

会社の保有する資機材の現金化は、同業会社に声をかけ、数社集まってもらってオークション形式で売却をしました。その中には、今回債権者にさせてしまった会社さんもいました。長年好意に付き合ってきた会社の社長、70万円くらいの債権が発生しています。経営者仲間以上の、人間対人間の付き合いをしていました。私はルールに反しない範囲で、彼の会社に私が付き合っていた得意先とのパイプを繋ぎました。「これくらいの債権は営業費と思えばなんでもない。気にしないで」と彼は話してくれていました。倉庫に残った資機材は同業社でなければ使い道のないものばかり、そのまま残せば廃棄処理で逆にお金がかかってしまいます。管財人立ち合いのオークションで、使えそうなものはすべて買い取ってもらい、約20万円の現金を破産財団にまわせました。

 

事務所と倉庫の明け渡しは、私が探した業者さんに2か所ともお願いする事にしました。延べ2日間ですべての荷物を運び出し、退去を完了しました。あわせて60万くらいの費用がかかったと思います。

 

個人の資産に関しては、手元にあるもので換価可能なものは、家内とペアで持っていた金のブレスレットくらいでした。

破産処理では、個人の所有するもので買値が20万円以上だったものはすべて、破産財団のものになります。ブレスレットの買値は2つで40万、私は管財人にブレスレットを預け管財人が売却、2つで7万円になり破産財団に入れられました。

 

それともう1つ、大きな資産は現在住んでいる住居です。買い替えの際、足りなかった分を地銀の不動産無担保ローンを利用して購入し、残債がまだ500万ほど残っていました。土地は借地で建物名義は私と家内の連名です。無担保ローンであったため、銀行の担保権行使はされず、任意売却をしてその売却金を破産財団へ入れる事になります。管財人から

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破産物件の売却に慣れた不動産屋を紹介され、協力をして売却を進める事になりました。

 

新たな仕事と並行しての破産処理、忙しく毎日が過ぎていきました。

 

 

第4章:管財人との仕事(1)

その次に管財人と会ったのは面会から4日後、事務所と倉庫の確認をしたいとの事で、事務所で会いました。私は約3週間ぶりに事務所に行きました。

 

事務所と倉庫の大家とはすでに管財人が直接連絡を取っているとの事で、完全退去までの家賃は破産財団から支払うといずれの大家にも伝えたそうです。これはすでに破産財団には未収の買掛金も含め1500万円以上の資金が残る事が確認できているため、管財人の裁量で大家は債権者にはせず支払う事を約束したそうです。しかし退去が長引けば財団の資金はその分減っていきますので、遅くとも9月中の退去でと、管財人は話していました。

私は申し立てまでに3社の退去処理専門の業者の見積りを取っていました。他の件でもそうですが、破産処理で財団から費用を拠出する、また逆にある資産を売って財団の資金にするような場合、必ず最低2社の見積りが必要になります。管財人は私が見積りを取った業者の中から1番安った業者を指定し、私に手配を指示しました。

またその日管財人は、賃金台帳や過去数年の決算書などのまだ未提出だった重要な書類を持ち帰りました。

 

事務所にあった植木たちは、みんな茶に枯れていました。

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第3章:破産申し立て(2)

破産管財人との面接は、管財人の弁護士事務所で行う事になりました。破産申し立て代理人弁護士とビルの1階で待ち合せして、8階にある管財人の事務所に向かいました。私は白無地のYシャツ、紺色のスーツ、ネクタイはグレー、極力控えめで且つ敬意を持った服装にしました。

 

破産管財人は、弁護士協会に登録されている弁護士の中から裁判所が選任します。もちろん破産事案に熟知した弁護士が選任されますので、逆に破産を申し立てる側の代理人弁護士として破産者を援護する事もあります。

 

とても弁護士事務所らしいオフィスでした。通された応接室の壁には本棚があり、法律書物や過去の最高裁判例の資料ファイルなどがびっしりと並べられていました。

「管財人の○○です。彼は○○弁護士、私の補佐をしていただきます」

管財人は私の向かい側に立ち、そう挨拶しました。今までの人生で弁護士という肩書きの方と話をするのはおそらく10人目くらいと思います。眼鏡の奥からの眼光が今までのどの弁護士よりも、鋭さを感じました。

 

面接は1時間くらいだったと思います。あまり詳しくはここでは書けませんが、申し立て資料を見た管財人からの質問は、

創業者への退職慰労金支払いが資金繰りが苦しくなってから以降も続けられていたのはどうしてか、これが偏頗弁済にあたらないかどうか、

個人破産に関して、FXでの損失額が負債総額に対してどのくらいの割合になるか、

個人の保有する資産として計上してある40万円相当の貴金属はまだ手元にあるか、

などの内容でした。

こちらが提出した申し立て資料は管財人の手元にもあります。至るところに付箋をはり、今後確認すべき事項を受任後1日ですでに明確にしているようでした。

私は丁寧に質問に答えました。

 

まず取りかかるべき事は事務所と倉庫の明け渡し、会社が保有する資機材の売却、

そして私の所有する(正確には私と家内が所有する)不動産の売却処理、

そのように指示を受けました。

 

「明日以降、会社宛てと個人宛ての郵便物はすべて管財人の方に転送されるように手続きをしてあるので、それも承知しておいてください」

最後にそう説明を受けました。

 

終始笑顔はありません。管財人は破産者と債権者の中間に立つ人、

破産者の申し立てに間違いや不正、虚偽がないか、裁判所の代わりに厳正に確認する人、

この日その事を確実に実感しました。

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こうして、第1回目の面接は終了しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3章:破産申し立て(1)

仕事探しと並行して、弁護士と取りまとめている破産申し立て書類の作成も大詰めを迎えていました。指示を受けては書類にまとめ、チェックをしてもらっては直しの繰り返し、約1カ月、ほぼ毎日のようにメールでのやり取りをしていました。

数字的な資料は、会社の帳簿や通帳などからの抜き出し確認で相違がないかをただただコツコツと地道に行います。管財人から質問を受けた際ちゃんと説明ができるようにと、この段階で弁護士もしっかりチェックを入れます。

また私の場合、個人破産に関してはFXでの浪費損失がありましたので、これが免責不許可事由に該当するため、免責許可をお願いするための反省文を提出しなければなりません。この反省文の内容が相当重要らしく、弁護士のOKがもらえるまで、何度も何度も書き直しました。

「少しでも管財人の手間を少なくできるように、申し立てに添付する資料をしっかりまとめましょう。そうすることで管財人への報酬を減らすことができ、その分債権者への配当にまわせますから」弁護士は私にそう説明して、励ましてくれました。

 

弁護士から書類が整ったと連絡がありました。

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出来上がった申し立て書類をみて私は少々驚きました。それは、ページ数にして約500ページ、厚さ5~6センチの1つのファイルにまとめられていました。

 

そして予定通り、令和元年8月20日、弁護士は裁判所に会社と私個人の破産申し立てを行い、受理されました。即日で裁判所から破産管財人が選任され、2日後の8月22日、破産管財人との最初の面接をする事になりました。

 

 

第3章:仕事探し(3)

物事には必ず流れというものがあって、そういう事は信じるタイプです。ひとつ仕事先が決まり、同時にあたっていた某ファーストフード店のバイクデリバリー、こちらもその3日後に採用していただける事になりました。いい流れを感じました。

バイクはほとんど乗ったことがありませんでしたが、今まで仕事で車は頻繁に運転していましたし、何より地元なので土地勘がありました。たまたまデリバリースタッフの増員が急務だったようで、それも採用に至った要因だったと思います。

 

社長をしていた時も、毎日午前8時前には出社して、退社はいつも午後9時近く、月に数日の休日も携帯は肌身離さず持ち歩き、何かあれば連絡対応をしていましたので、2か所掛け持ちの仕事で労働時間が長くなる事は心配していませんでした。体力的にもまだやれる自信がありました。

 

8月のお盆明け、非正規ではありますが私は2か所の今までとは全く違う職種の事業所で、仕事を始める事になりました。

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第3章:仕事探し(2)

面接はスーツを着ていきました。今までの面接もすべてそうです。履歴書の職歴には、「会社を倒産させて自己破産手続き中の元経営者」とは書けませんので、前職は廃業と書き、そのため新たな仕事を探していることにしていました。

 

面接をして下さった採用担当の方、歳は見る限り同年代、他の面接でもそうでしたが、長年面接をする事はあってもされる事はありません。自分の会社に入社した時が最後の面接経験です。また社長という立ち位置にいると、周りは常に気を遣ってくれていて、何だか自分は偉い人?、と勘違いをするようになり、周りに対する態度や物言いが偉そうになる。恥ずかしい話ですが少なからず私もそういう立ち振る舞いが身についてしまっていました。「そういう態度にだけはならないように」自分に言い聞かせていました。

私の経歴などにはあまり触れず、どのような仕事をするのか、体力的にどのくらい大変かなどを丁寧に説明してくれました。私は、やらせてほしいという気持ちと、体力には自信があるという事だけを必死に伝えました。

 

廃業をしてこの先の生活に困っている・・・という心情も汲んでくれたのだと思います。結果は、

やってみて無理だったらすぐに相談する。

とりあえず9月いっぱいの契約で、その後の事は追々また打合せをする。

という条件で雇ってもらえる事になりました。

 

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後になってわかったのですが、清掃事務所というのは各市区町村の管轄で、ここで働く皆さんは地方公務員です。雇い主は役所という事になります。私は臨時のアルバイトではありますが、役所の臨時職員としてまず1つ目の仕事に就ける事になりました。

 

面接の後、さっそく所内を案内していただき、翌々日から仕事をさせてもらえる事になりました。

 

これは先のブログにも書くつもりですが、正規の地方公務員に就くためには、地方公務員法という法律があり、その中の欠格事由として前科者と破産者が含まれています。しかし非常勤職員と臨時職員に関しては破産者は含まれません。また破産者というレッテルは、免責が許可されれば破産者ではなくなり、あらゆる国家資格が必要な職業や公務員にもなる事ができます。

 

私は家内に電話をし、ひとつ仕事先が決まった事を報告しました。

 

 

 

 

 

 

 

第3章:仕事探し(1)

実は親しかった得意先の方から、当面の生活費の工面について好意ある提案をいただいていました。「うちの直近の売り上げを報告しなければいい。その金額を奥さんの口座に振り込んであげる。そうすればそのお金は表にでないよ。」約50万くらいだったと思います。この方は以前にも関係する企業が倒産、社長も自己破産をした経験があり、その時頼まれて便宜を図ったそうです。そしてうまくいった。とても人情味のある方です。しかし私は丁重にお断りしました。それより、残ったお金はちゃんと従業員や債権者にまわさなければいけない。真にそう思いました。

 

仕事探しをする上で決めた事がありました。

「ダブルワークと在宅ワークの3本柱で当面収入を得る」

「時給は1200円以上のところを探す」

「とにかく自宅から自転車で通える範囲にする」

これで月の手取りで35万を目標にする事にしました。

 

しかし、ご想像の通り、そう簡単には事は進みません。今までの業種の経験と経営者としての経験を除けば、私にあるスキルは自動車運転免許と自己流のパソコン、ワードエクセルくらいなものです。何より年齢50を過ぎています。テレアポ、遊戯店、酒屋、ピザ店など・・・6社面接を受けて採用してくれるところはありませんでした。

正直これが現実かと、焦りました。

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仕事探しを始めて10日目の頃、私は朝から自転車で近所を走っていました。先に決めたように、ダブルワークをこなすためには家から近くなければいけない。私は自分の足で仕事を探そうと、自宅から半径2キロの範囲を走っていました。

すると、住み慣れた地元の普段なにげなく通り過ぎていた建屋、「ここは何の会社?」と思い入口にまわってみました。「○○市清掃事務所」と書いてありました。4階建てのしっかりした建物です。奥の敷地に町でよくみかける車がありました。ゴミ回収車です。「ゴミ屋さんだ」私は呟きました。入口の横に広告掲示板があり、そこに臨時職員募集の張り紙がありました。

「月16日勤務、日給10350円、午前7:30~午後4:30」

とにかく何か仕事を始めなければいけない状況でした。

募集の張り紙に記載されている電話番号を控え自宅に戻りました。夕方、電話をかけました。応募したい旨を伝えると、「とにかく体力的にはきついですよ。何よりまだ暑い。大丈夫ですか?」と、どうしても面接をしてもらいたかったので、「若いころから体力には自信があります」と話しました。「じゃあ1度面接をしましょう」とても有難い対応でした。

 

翌日私は、履歴書を持参して「○○市清掃事務所」に面接に伺いました。

7社目の面接でした。

 

 

第2章:倒産(5)

自宅まで来る債権者はいませんでした。すべての業者さんと良好なお付き合いをさせてもらっていましたが、お金の事になればそれは別の問題、当然です。私も以前取引先企業が倒産した時、相手方の社長宅まで行った事がありましたから、その気持ちはとてもよくわかります。もしそうなった場合、ちゃんと向き合って、謝罪の気持ちを伝えるつもりでした。それがせめてもの誠意と考えていました。しかしその後も、誰も来る事はありませんでした。

 

自宅にはインターネットを引いていませんでしたが、今後もまだ弁護士との連絡や書類作成でパソコンとインターネットは必要でした。パソコンは自前で買った仕事用のノートパソコンが1台ありました。安いプロバイダーと契約をしてインターネットが繋がるよう整えました。

 

申し立ての準備がほぼ整った頃、次にやる事は仕事探しでした。業務停止時点で手元に残したお金は60万円、家内と2人の生活でもって3ヵ月、しかも半分は管財人から否認されれば、返金をしなければいけないお金でした。

私は25年ぶりに履歴書を書き、仕事探しを始めました。

 

同時に役所に行き、国民健康保険の加入手続きや国民年金の納付免除手続きなどをしました。仕事探しには大いに不安がありましたので、福祉課にも行き、生活保護制度の詳細も聞きました。福祉課の担当者から生活保護の1つ手前に自立支援制度もある事を教えてもらいました。

 

私は、今までの業界では仕事をするつもりは一切ありませんでした。業務停止から今日までの間に、今後の仕事先について声をかけて下さる関係得意先もありました。「この歳で新しい仕事は無理でしょ」とはっきり言う方もいました。しかし負け惜しみではなく、この業界にはもう未来を感じませんでした。「とにかくアルバイトからでもいいから、新しい事をしよう。違う世界で仕事をしてみよう」そう考えていました。

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第2章:倒産(4)

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最後に事務所にいた2週間、さまざまな事がありました。

 

取引先、仕事の発注側の担当者が数社訪ねてきました。まず事実確認です。なじみの担当者に事情を説明し謝罪するのはとても心苦しいものでした。発注側の会社さんには金銭的な迷惑をかける事はありませんが、うちがやらせてもらっていた業務には急に穴が空いてしまいます。これはこれで相当な迷惑をおかけするわけです。業務資料の提供や代替えの業者を紹介してほしいと要望される場合もありましたが、会社が保有する資料は会社の財産にあたるため個別の資料提供はしてはいけない。個別の業者の紹介もNG、と弁護士から指示されていました。ここでは詳しくは書けませんが、そうした縛りの中で可能な限りの対応をさせていただきました。

 

債権者は4人訪ねてきました。仕事をお願いしていた人たちです。自営の方、会社の社長、みな現場で何度も会っていた人たちでした。私はその都度深く、頭を下げて謝罪しました。こちらも可能な限り、取引先との仕事が直接繋がるよう行動をしました。直接お詫びができた事は、何より私にとって救いになりました。

 

元従業員の中で、これを機に独立起業したいというものが連絡をくれて訪ねてきました。私は許される限りの情報とアドバイスを伝えました。

 

事務所の大家さんからは、「いつ出ていってくれるのか、家賃はどうなるのか」と毎日のように連絡がありました。個人の大家さんでした。それまで好意にお付き合いをしていましたが、態度は一遍しました。仕方ありません。小さなビルで全フロアの電気メーターが共通であったため、電気代の請求も大家さんの方に来ることを心配し、強硬にエアコンは使わないでと言われました。酷暑の夏、エアコンは使えませんでした。

 

事務所と倉庫の明け渡しを請け負ってくれる業者探しや、コピー機や車などリース物件の引き渡し、従業員の社会保険の退会手続きや各人への離職証明、源泉徴収票、各市区町村への住民税関係の通知連絡などすべて自身の手でやりました。

そして破産の申し立て書類の作成には、かなりの時間と労力を要しました。

 

あっという間に2週間が過ぎました。いよいよ電気が止まり、インターネットも繋がらなくなる頃、何とか大方の処理が終わりました。弁護士からは、8月20日に裁判所に申し立てをする方向で動くと連絡がありました。

 

「植木たちも枯れてしまうな・・・ごめんな」自然とそんな言葉がでました。

 

令和元年8月10日、私は事務所のすべてのカギを弁護士に預けました。